2011年11月22日 夜
さっき夜のお茶会が終わり、今寝床を作ったところだ。
今日もプノンペン刑務所に私の歌う「グッバイマイラブ」が響いた。
カンボジアに来て特にこの曲が好きになった。
最近気がついたのだが、この曲は別れの曲ではなく再開を期待する曲なのだ。
※二人の恋が真実ならばいつか会える時が来るから、さよならじゃない、、、
実に今の心境に響くフレーズだ。
***
にしても、今日は最悪だ。実に暑い。しかも蒸している。
さっき風呂に入ったが、もう身体中ベトベトだ。
風呂といってもシャワーも水道もない。池から汲んだ水で体を流し、
最後に樽に溜めてある水道水を桶3、4回は使い流すだけ。
これはしんどい。
水をじゃぶじゃぶ使い風呂に入りたい。
日にちが経てば慣れるのか、何年この風呂に入るのか。
もう書くのをやめよう。
若者よ今日は真剣にうちわを仰げ〜。
2011年11月22日 3
お金の話だが。
全部してしまうと、先週の土曜日100ドルの金をT君のお父さんが入れてくれている。
しかし今日が4日目だが残り50ドルしかない。
刑務所暮らしで必要なものを揃え、さらに土曜日から1日5ドルの食費を払っている。
1日5ドルは高いと思うが、実は他の者へのおすそわけが入っている。
そうしないとこの刑務所で日本人として本当に生きていけないのである。
***
話は前に戻るが、死んでしまおうと思った時、意外な自分に気づいた。
歳を取ったせいか、諦めがよくなったというか、物事を前向きに考えられるようになった。
確かにこの刑務所暮らしは嫌だが今までしてきたことの償いだと思えるようにいなった。
ここを何年で出れるかわからないが、出たら生まれ変わった気持ちで善人になろうと本当に思っている。
今の時点ではここを出ても日本へは帰らず一生カンボジアで世のため人のためになることをしていこうと思っている。
これは本心だ。
出た後、生活に困らない程度の少しの金があればいい。
本当にそう思っている。
いつ変わるかわからないが...
なんやかんやで今の心境まで書いてしまった。
2011年11月22日 2
面会が終わりT君が血相を変えて部屋の入り口にいた。
外では自分たちの事件が大事件に発展しているという。
なので今日から2人は違う部屋になるという。
それは困る。まだ自分は何もわからないし金もあまり持っていない。困る。
困ると思っていたがT君は部屋に入らず、出て行ってしまった。
自分がうつむき不安な顔をしているのが周囲の人がわかったらしい。
みんなが話しかけてくる。だが何を言っているのかわからない。
ボスが英語でゆっくり話しかけてくる。自分を慰めていてくれているようだ。
人相の悪い奴も私に気遣ってくれている。まんざら悪い奴らではない。
それだけが救いだった。
***
22日現在の今は、金は少しだが10ドル,20ドルと入るようになった。
外でジュース、タバコ最低限のものは買える。
刑務所のご飯にもお金は必要だ。
今まで米しか食ってなかったので気がつかなかったが、おかずは3グループに分かれ各自作っている。
私はカンボジア人の囚人からタダ飯を食わしてもらっているという事だ。
水を飲むのも金、米を食べるのにも金、外に出るのも金(看守にチップを1ドルくらい)
例えば、面会が来るとする。
面会のところに行くまでにタバコ一本を渡す。
面会が終わり部屋に着くまで3ドルが看守へのチップ。
これはたまらないが、これが現状だ。
なにしろ金が全て。自分は一刻も早く金をなんとかしなければならない。
肝心の私の仕事関係の面会は一度しか来ていない。
明後日また来ると言い、来なかった。
参った。金がない。本当に情けない話だ。
このまま死んでしまおうかと思った。
2011年11月22日
今日は朝8時前より外に出て、中庭でジュースとコーヒーを4ドル払って、飲んだ。
だいぶ、くつろいでいる。
この刑務所は金がなければ何もできない。
逆に、自由も金で買える。
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さて昨日の続きを書こう。
T君が部屋に戻ってきて、早速ボスと話を始めた。
この部屋での生活は長くなりそうだ。
T君がボスに言われたのは我々の寝るスペースのことだ。
2人で15ドル払えと言われたらしい。
そうすれば上の段に2人で寝れると言う。
T君が早速15ドル払い、居住スペースを確保した。
スペースに座りT君がいかにも人相の悪い奴と話し始めた。
T君はこの男と話し終わるとボスと話し始めいろいろ聞いている。
昨日の部屋との決定的違いは扇風機がない。実に暑い。
新たに部屋に扇風機を入れるにはコンセントを付け、月々電気代150ドルを払わなければ
いけないらしい。150ドルで電気は使い放題になり、さらにDVDまであれば見れるという。
もちろん、ラジオもオーディオも聞けるという。
ここでもまた、自由が増えた気がした。
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残念なことに2人でずっと一緒いるには、一週間だけ違う部屋で過ごすという条件がでた。
それでは自分が困る。ここに入ってからまだ2日目である。
おまけに自分は金を一銭も持っていない。
T君はお父さんが来ているので多少の金をもらっている。羨ましかった。
自分はT君に頼み込み5ドル借りた。
また、午後からT君はお父さん・彼女etc...と面会だった。
自分はひとり部屋で過ごしていた。
2011年11月21日 3
新しい房に移ることになった。
ドアが開き中に入る。
昨日の房とは少し違う雰囲気。
何かが違うと思ったが、カンボジア語で「こんにちわ」と言いながら中に入る。
やはりボスらしき人が自分に話しかけてくる。
自分が
「アイム ノー スピーク、 フレンド カム」
と言うと納得したようだ。
正直、昨日の房とは違い殺気さえ感じた。
もうすぐ、消灯時間だ。
今日はいろいろと書きたいが、また明日続きを書こう。
2014年11月21日 2
中庭では一列に並ばされたが、何もないくつろぎタイム。
すると、T君が一人の男と親しげに話し始めた。
その男は自分にタバコ2箱とライターをくれた。
親切だ。
自分は素直に、そう思った。
***
さっき、T君が房のボスと話していたが、自分とT君は初日なので同じ房に入ったらしい。
ずっと一緒の房が良ければ、月200ドル払えば同じ房になれると言う。
この親切な男も同じことを言っているようだ。
なるほど、タバコ2箱はつけとどけか〜。
昨日いいところに寝たのもこういうことか。
おそらく、200ドルを毎月看守に払いボスたちはなんらかの恩恵を受けるのだろう。
そう考えた自分だが、何としてもT君と同じ房でいたい。
そう思っていると、T君がこの男と話し、同じ房を希望していると伝えてくれた。
よかった。本当に良かった。この時は本当にそう思った。
***
この後、自分たちは一通りの手続きを受けた。
身体検査等、身体検査といっても測ったのは体重と身長だけ。
あとはエイズか?等聞かれるだけ。全てNOと答え検査終了だ。
1日のうち5時間位は外で自由にでき、コーヒー等自由に飲め、歩きタバコもいい。
捕まって刑務所に入ったのは最悪だが、ここならなんとかなるかもしれない。
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午後、T君に面会が来た。父さんらしい。
T君はなかなか帰ってこない。
T君と同じ房になるため、房が変わると聞いた。
自分が先に新しい房に移ることになった・・・・。
2011年11月21日
目が覚めた。体中が痛い。
生まれて初めて石の上に寝たせいだろう。
寝起きの一服がしたいが、自分にはタバコがない。
すると、下手に寝ている若者がタバコをくれた。
日本人には優しいのかプノンペンでは反日を感じたことはなかった。
ここ刑務所もそうなのだろうか?
T君は房のボスからここのルールを聞いている。
自分には全くわからない。
すると、外から看守が呼びかけてきた。
「外に出ろ」
T君と自分に言っているらしい。
自分たちはパンツ一枚で外に出た。
するとどうだ。ジャラジャラアクセサリーをつけた黒人が廊下で守衛と話している。
しかも、黒人は歩きタバコ。
なんだこの刑務所は。
進んだ先の中庭では飲み物を飲み、くつろいでいるのは皆この刑務所の囚人だ。
アメリカは刑務所が自由、というのは知っていたが・・・・・。
カンボジアも自由なのだろうか。日本の刑務所が特殊なのかもしれないと思い始めた。